昭和49年03月23日 朝の御理解



 御理解 第78節 
 「神の機感にかのうた氏子が少ない。身代と人間と達者とが揃うて三代続いたら家柄一筋となって、是が神の機感に適うたのじゃ。神の機感に適わぬと、身代もあり力もあるが、まめにない。まめで賢うても身代をみたす事があり、また大切な者が死んで、身代を残して子孫を絶ってしまう。神のおかげを知らぬから、互い違いに成って来る。信心して神の大恩を知れば、無事達者で子孫も続き身代もでき、一年まさり代まさりのおかげを受ける事ができるぞ。」

 私共が愈々神様の所謂おかげを知らねばならん。『神の大恩を知れば無事達者で子孫も続き身代も出来…』と、言うならそうした結構なおかげの中に、子々孫々おかげを頂いて行けると云う程しの有難いお道にお互いご縁を頂いておるのですから、只金光様の信心を頂いておるというだけでは駄目なんです。所謂神の大恩が解らなければ。しかも解ったと言うただけではいかん、頭で解ったのでなくてね。
 ずうから解らないと心から解ってしかもその解ったら、それに対する神恩報謝の生活が出来るからおかげを受けるのですね。日々が有難い勿体ないという神恩報謝の生活が出来るから、おかげが受けられるのである。今日はそういう信心が三代続いたら神の機感に適うた氏子と。だから私共がそういう信心をまずは頂かせて貰うて、子にも孫にも伝わって行く信心の言うなら継承と云う事が、なされなきゃならん訳ですけれども、私は今日は改めて判らして頂く事は、ね。是は子供に孫にと云う事だけではない。ね。
 言うならばです、先祖が言うならば亡くなられておる親達が、または爺、婆達が助かれば私で三代と云う事になる訳です。ね。私は今日は今までそんな事は気が付かなかった。今日この御理解を頂いて三代それには、私自身がどうでも天地の大恩が解って、神恩報謝の生活をすりゃ此の様なおかげが受けられるんだというおかげの、言うなら実践というか実感ですね。教えを実践して、そういう実感を感じれる程しのおかげを受けると言う事。だから家の親は信心してから亡くなったからと云う訳にもいけん。ね。
 只信心しとったというだけで、言うならそういう神恩報謝の本当の生活が出来ていない。御霊ながら日々を金光大神の御取次を頂いて神恩報謝の御霊の働きが出来ておらんとするならです。ですから、先ずは私共が本当に頂かなければならない。何と言うても私共が言わば日々を神恩報謝の生活をさして貰うて、ね。そして親の御霊が助かり、爺、婆の御霊が助かり言うなら先祖の所謂うからやからの御霊たちも助かっておかげを頂く。皆さんが御霊様、祖先賛詞をあげて拝まれる。
 私は祖先賛詞も有難いけれども、ね。頂いて来た御理解を話して聞かせる。言うならば、あの「おかげの泉」なら「おかげの泉」をです、例え一節ずつでも、一ページずつでも良いから、毎日霊様にそれを唱えさして貰うて、御霊様に信心の心を開いて貰う。そう云う風に申しますけど、皆さんそう云う事が出来ておられるかどうか。ね。今日は春の御霊のお祭りが、此処で一時から行なわれます。
 昨夜は丁度二時半まで私はご霊前で座らして頂いておりました。以前は私は非常に力の要る事ですから、お夜食を沢山頂いておりました。十二時頃から今はもう、お夜食は絶対に頂かない事にしておりますから、もう此処三四年ですかね、御霊様にお供えさせて頂いたのは、まだ二年か三年でしょうか。それを自分が全然頂きませんから、全部あの様にしてから、昨日あちらこちらから皆さんが、昔の習慣が残っておる。親先生が召し上がるからというので、いろんなご馳走を沢山作って来て下さっておる。
 それをそのままご霊前にお供えさせて貰うて、熱い濃いお茶を、それからもう本当にすびき切れる様に氷を入れた氷水とをお供えさせて貰うて、言うなら霊様の前夜祭という意味ではありませんけれども、例えばなら此処に御神縁を頂いておる方達に所縁の御霊が全て集まって来るんです。もう信心のある者、合楽に参りよりますよと言うておりましても、一度合楽におかげを頂いておった人達ならば、その類系の御霊様達はもう味を締めてるです。その時代におかげを受けた事を知ってる。
 だからもうお参りをして来よらんでも、その所謂なら二十数年になれば二十数年間の間に此処で、御神縁を頂いたと言う程しのなら人の言わば所縁のある御霊達がもういっぱい。是は私が何時も申します様にあのう椛目の時代でしたけれども、私は以前から以前はもっと一晩中掛かっとりました。御祈念のあのう御広間から楽室に休まして頂いた。そしたらもう夜中もう晩中もう何かこう丁度何ですかね、御本部にお参りさして頂いて、あのう一万何千人という方達が一斉にずうっとあの大祓詞をあげるでしょう。
 沢山の人があのうああ云う風に沢山の人が何か「がやがやがやがや」話をしておる。それがね苦しいとか喧しいお喋りをしておるのではなくて、おかげで今日は助かられる。今日はおかげで楽が出来る。今日は此処の先生のおかげで、お導きを頂く事が出来るという歓喜に満ちた喜びに満ちた、それも沢山の御霊が「わやわや、わやわや」話しておる、雰囲気が一晩中続いた事があります。そうなんです。ね。中には中々頑固な方達があって、幾ら言うても、幾ら言うても判らない人もあります。
 けれども神様が、私を通して縁のあるものが必ず、助からなければ、助けねばおかん、助けねばおかんという、神様の働きが私を通して始まる。昨日私は神様にその事をお届けさして頂いた時に、頂いたのがね、今度あの小野田さんですね、小野田さんがあのジャングルから救出されられる時の模様を頂くんですよ。御神眼に。もうそれはね小野田さんの救出をすると云う事には大変な手が入っておる事です。何回も何回も行って、もうそこに確かにおる事が判っておるけれども、恐くて出てこられん訳ですね。
 それで本を置いていったり、缶詰を置いたりあっちこっちして、それで例えば小野田さんなどは、もう此の日本の事のいろんな情勢やら、自分を探しに来ておる事もちゃんと知ってしもうておられた。昨日高橋さんから、週刊誌を三冊買って来て頂いた。それにそのあのう、小野田さん救出のいろんな記事が、沢山出ておりましたから、それを読みたいと、私が言いよりましたもんですから、昨日買って来て下さった。
 それをまあ読ませて頂きましたらね、大変それは本当に救出をするためには、もうあれだけ大変な犠牲を払うてでも、一人の人を助けることに、一生懸命にそのなります様にね、御霊様の、言うならジャングル地帯に迷い込んでおる、いわゆる御霊達を助けるには、大変な力がいると言う事を皆さん本当に、知って頂きたいと思うですね。昨日その事を頂いたです。それであのう皆さんの例えて言うならあのう沢山色々なおご馳走を作って来て下さっとるとをお供えしてからね。
 所謂そういう救われ難いまた救われていない人達に、まあ何と言うのでしょうか。仏教では餓鬼と申しますね。「お施餓鬼」というでしょう。餓鬼を助けるという働きね。だから本当に水一つ許されて頂いておらん御霊もありゃあ、本当に久しぶりにお茶を頂いたと言って喜ぶ御霊もありゃあ、はぁもう山海の珍味が、こんなに目の前に出ておるのを見て、喜ぶ御霊も沢山ある。
 それをんなら救出するためには、それこそ迷いの御霊ね、助かっていない御霊、まあだそれこそ何もかにも分からんで、あの世によう行けずに、言うならば此の辺でうろうろ迷うておる御霊もあると云う事です。ね。ですから丁度あのジャングル地帯に食物やら缶詰やら本やらを置いて来て、それでも救出しようするそれと同んなじ様な意味の事を頂きました。昨日ですから、ただ霊祭にさえ詣りすれば良いじゃろうがばってん。そういう神様の大変な手の込んだ働きを受けて、そして今日のお祭なんです。
 そりゃあ皆さんの、一生懸命信心なさっておられますから、先祖も大事になさっておられますから、特に改式などしておる御霊などが助かる道をただ只ひたすらに、一途に真の道を求め求めして行っておる是は事実です。けれどもねなら改式をしとらんでも非常に悟りを開いておかげを頂いておる人もあるです。昨日安東さんが毎日二回ずつ参って見えます。朝と昼とその昼のお参りの時でした。今あそこは家を追い出しに掛かっておりますから、家を向うから移って来よんなさる。
 道具やら持って来よんなさる。もう早よう出らなければ出来ないごたる羽目になっておる訳です。けれども中々良い適当な家がない。そこで昨日吉井の方にあるからというので行かれた。それはもう鉄筋コンクリートの家で見事な立派な家げな。所が何とそこには夜な夜な幽霊が出るという噂である。また事実何回も何回もその替わった人達は皆んなノイローゼの様になって、今ではもうそこに住み付く人が無くなってしまっておる。今時そう云う様な事があるじゃろうかと私はあると思うです。
 けど「うちは主人が臆病で子供達も中々臆病ですから」ち昨日言う事です。けど親先生が行けと言いなさるならという訳ですけれども、「そりゃどうでんこうでんいっちょ安うして買いなさい」と私が。ね。所謂昔で言う化物屋敷なんです、昔のあの先生方が布教に出られる時にはね、昔はそげんとがとりわけあったんです。迷信深いから、ね。言うなら化物屋敷とか幽霊の出る家とかと云う様な家があった。そう言うのを選って選って選り好んで行かれる。出られたんですね。
 安いもんだからね、そして神様御供して行ってそこの、だからそういう例えば助かってない御霊、しかも明日は御霊様のお祭でもある事じゃから、私が今晩その御霊となら一つあのー交渉して神様にお願いをしてね、助かられる様にするから、一辺二辺で助かろうとは思いませんけれども、どうでも買えんならば借りる方法をしなさい。あんた達が行き切らんなら、私が泊りに先行ってやるから。
 「親先生泊まりに来て貰うなら安心して行かれるけんで、そんならどうでんこうでんそげんふうにしましょう」と「家はもう主人が中々臆病ですから、どうか息子さんが大変臆病だから、と言う様なお届けでした。しかしそれはね確かにあるです。ね。魂の世界と云う事を抜きにしたら、ね。もうあのう言うなら信心もいい加減な物になるです。神様が御座る御座らんやらはっきりしなかったら信心がはっきりしない様に、ね。
 私共はその魂の世界に入る為に、此の世に生を受けておる間に、魂を愈々清めておこういや清める事の術を覚えておこう。そして魂の世界に入っても愈々、金光大神の御取次を頂いて、ね。真の道を進まして頂こうというのが、此の世へ生を受けたと言うのは、それが値打ちなんです。信心は今言う様にそれこそ、あの世にも全然行けてなくて、いわゆる此の世でうろうろして、人に迷惑をかけておるという、言うならば霊魂もあると言う事です。此の頃の新聞に出てましたでしょう。
 あのう首吊りをした人の所で写真を写したら、その首を吊ったその霊魂が写真に写ったって。四五日前でしたよ。言うならば、そのうこの科学的にもそういう霊魂の世界と云った様な物が、実証される様な時代に段々なって行くと思いますけれども、霊界通信と云った事が出来る様な時代になっておりますけれどもです、通信が出来ただけじゃなく、問題は助からなければならない。人間が助からなければ出来ない様に、魂も助からなければならん霊魂も。ね。
 それを私共が日々こうやって御理解を頂いてです、有難い勿体ないの心を頂かして貰うて天地の大恩を悟らして貰、有難い勿体ない、『生きても死んでも天と地はわが住みか』と思わせて頂けての、言うならば、親先祖に対する所の手向けの供養をさして頂くのが御霊のお祭です。しかもなら、一家中のその先祖の御霊がね、助かっておるとも助かっておらんともおる。迷うとるとも頑固な奴もおる。そういうのがです、例えば助かる働きをさして頂く為には、先ず私共がおかげを頂かなきゃあならん。
 今日は私は其処ん所をです、例えば親達が亡くなっておられるとするなら、その親達が本当に、所謂金光大神の御取次を頂き、天地の大恩を知って、喜びの御霊となられ、そしてまたじじばばの霊様達もです、言うならうからやからの御霊達がね。もうそれこそ一杯の歓喜の喜びの中に、御霊は御霊ながらの生活が出来れる。安心の御霊として喜びの御霊として、愈々真の道を進んで行けれる。言うならば、私も先祖も一緒にその道を歩かして頂く、まあこれは三代と云う事だけの意味の事ではありません。
 言うならばひっくるめてうからやから言うなら先祖代々の御霊がね、一族郎等が全部助かって行けれる様な私はおかげを頂かして貰うと言う事。必ずしも三代経たなければはっきりせんと云う事はない。今まではそんな感じでした。しかも本当にその様な信心をしなければ本当にあのー廻りのお取り払いを頂いて、ね。親の代よりも子の代というて繁盛して行く様な道が、三代続かなければ駄目な様に思うておった。ね。
 長う続く事は有難いですよ。けれどもそれとは反対に今度は、亡くなっておられる世界の方が助かって来たら、同んなじじゃないですか。ね。爺、婆が助かった親達が助かった。助かり切ると言う事は中々私共でも難しい様に難しいけれども、この道を歩いて行けば助かるんだというね、希望を持てれる御霊にならなければならないと云う事。ね。この道を御霊ながらも愈々難儀な時には、金光大神の御取次を頂いて助かって行く術を御霊ながらに体得、悟って貰わなければならないと云う訳なんです。ね。
 御霊様の中にも皆さんの御先祖の中にも随分頑固な、ね。迷うて出て来る様なのはおらんかもしれんけれども、滅多にゃね、けれども御霊の世界で、言うなら苦しみに信心しておられる御霊達も沢山おられます。ね。只今日だけは許されて、今日だけは言うなら監獄に入っとるとでもです。ね。ちょっと許されてまあ出て来る。まあお仕着せ着物を着たり、ね。人間がそうである様に、まっそういう意味の事が言えます。ね。地獄に落ちとるとでも、今日だけはお許しを頂いて、ね。
 言うならばぁ遺族の者、子供や孫達にもですね会えれる様な、まあ一時の喜びを感ずる事が出来る。そして、御理解を受けて、御霊ながら心を開いて、御霊ながらにも金光大神の御取次を頂ける事を知って、御取次を頂いて段々日々ね、喜びの御霊安心の御霊としておかげを頂いて行こうという信心の意欲というものを、そういう願いに掛けて、御霊が精進する事になる。勿論私共も精進しなくてはならない。
 そして私の助かりはそのまま親の助かりに繋がって行く様なおかげを頂かなければならない。其処にはですね私共まあ子供が出来て、孫が出来てそれも良い信心を頂いてくれなければ、と云った様な感じで此処を頂いておったけれども、今日の御霊様のお祭にですね、そういう切っ掛けだけでも作ってあげる様なおかげを頂いたら、有難いと思うですね。   どうぞ。